日本共産党「革命」を夢見た100年(中北浩爾)

  • 日本共産党は1922年の結成以来、100年後の現在に至るまで、大きく変貌した。最も重要なのは、第一にソ連共産党に対する従属から自主独立路線への転換であり、第二に暴力革命路線から平和革命路線への変化である。
  • 日本共産党コミンテルンの日本支部として結成された。コミンテルンは・・・1919年に設立された共産主義者の世界等であり、各国共産党は・・・その支部として位置づけられた。
  • ロシア革命を成功させ、世界で初めての社会主義国家を樹立したという現実の重みゆえに、ソ連共産党が実質的に指導するコミンテルンの権威は圧倒的であった。マルクス・レーニン主義というイデオロギーも、民主集中制という組織原則も、ソ連共産党からの輸入品である。
  • 1960年代に入ってソ連と中国の対立が激化すると、日本共産党は1961年綱領に基づいて、まずアメリカ帝国主義に妥協的な姿勢を示すソ連と衝突し、次いで武装闘争方針を示唆した中国と決裂する。このようにして、・・・自主独立路線が確立した。その背景には宮本顕治書記長の下で大衆的な党組織の建設が進み、・・・
  • 現在、日本共産党が20世紀の構造変化と考えているのは、社会主義体制の広がりではなく、植民地体制の崩壊、民主主義と人権の発達、平和の国際秩序の発展の三つである。
  • 革命とは被支配階級が支配階級を打倒して国家権力を掌握することであるが、ウラジーミル・レーニンが1917年の著書「国家と革命」で暴力革命を唱え、武装蜂起によってロシア革命(10月革命)を実現したことから、共産主義は元来、暴力革命論に立脚する。
  • 1966年綱領では平和革命について明確な表現を避け、・・・平和的な方法で革命を実現するのが望ましいと断りつつ、どういう方法が実際にとられるかは「敵の出方」によって決まるという考えを提示した。
  • ソ連の崩壊を経て、2004年綱領は、・・・国会で安定した過半数を占めることで革命を実現すると表明し、平和革命路線を明確に示した。
  • 革命戦略についても変化がみられる。その前提として、まず変わらない部分を述べておきたい。それは日本が当面、目指すべき革命の内容として民主主義革命を位置づけ、そのあとに社会主義革命を実現するという、二段階革命論をほぼ一貫して採用してきたことである。
  • 現在の綱領をみると、民主的改革の内容は比較的穏健である。経済分野では、・・・資本主義の枠内での「ルールある経済社会」が打ち出され、大企業の民主的規制や社会的責任、国民の生活と権利の用語、社会保障制度の拡充、無駄な大型公共事業や軍事費優先の財政・経済運営からの転換、原発ゼロなどが掲げられている。憲法と民主主知の分野でも、護憲や平和的民主的諸条項の完全実施、人権の充実やジェンダー平等が盛り込まれ、天皇制については護憲の立場から事実上容認し、・・・最も急進的な内容を持つのは、外交・安全保障分野であり、日米安保条約を廃棄して在日米軍を撤退させること、国際情勢を踏まえつつ国民の合意に従って自衛隊の解消に向かうことなどが打ち出されている。
  • 日本共産党社会主義革命を遠い将来の課題に先送りしつつ、民主主義革命(民族民主革命)の実現を現在も目標としている。