昭和史 戦後篇 1945-1989(半藤一利)

  • 昭和20年8月15日、・・・降伏文書に調印してアメリカ(連合国)の占領がはじまってから昭和26年(1951)までを占領の時代・・・いわゆるOccupied Japan・・・この時期にはGHQが非軍事化・民主化方針にのっとって日本政府に次々と指令を出し、日本はこれらを唯々諾々と受け入れ、大きく国柄を変えました。・・・象徴天皇制・・・主権は国民・・・議会制民主主義・・・非軍事化、軍事力をまったく放棄・・・財閥解体、農地改革。言論・表現・結社の自由、さらに労働三法の実行などなど・・・戦後日本の骨組みをつくったと言える
  • 昭和27年(1952)、講和条約による独立日本のスタートから昭和35年(1960)の〔60年安保〕までを政治闘争の時代とみることができる・・・ミッチーブーム・・・国民的合意・・・平和と民主主義を守るため、という同じスローガンで左翼と右翼がまったく違う考えをもって日常的に衝突し、政治的に揉めて混乱しました。・・・選択肢が4つ・・・一つは、天皇陛下を頭に戴き、陸海軍を整備した、いわゆる”普通の国”になること・・・二番目は、左翼が主張するところの社会主義国家・・・ソ連の傘下に入るという意味ではなく、アメリカ的な資本主義からは距離を置いた・・・共和国・・・三番目は、結果的にこれを選ぶことになるのですが、軽武装・通商貿易国家、・・・経済第一で豊かな国をつくろうという選択・・・・四つ目としては、"小日本"・・・一切のごたごたに関与しないような文化国家・・・”東洋のスイス”・・・現実的には不可能だった・・・選択肢としてはあり得た
  • 経済第一の時代・・・昭和36年(1961)から昭和40年(1965)
  • 昭和41年(1966)から昭和47(1972)・・・日本経済がぐんぐん成長した・・・自信回復の時代・・・統制管理された社会への抗議としての大学紛争が拡大・・・沖縄返還で、戦後日本は完全に終わり、新しい日本の歴史がはじまりました。
  • 昭和48年(1973)から昭和57年(1982)・・・日常生活での価値観の見直しの時代・・・昭和48年、ベトナム戦争終結・・・日本は2度のオイルショックを経験・・・高度成長を謳歌していた日本人の生活は、それどころではなくなった
  • 昭和58年(1983)から昭和の終焉、昭和64年(1989)・・・国際化の時代・・・官僚統制システム・・・国の経済的運営を個人の自由なものとせず、すべて官僚が決める方式・・・官僚がグランドデザインを描き、アメとムチを駆使して実現していく・・・このシステムは高度成長時代とくに有効に機能し、国家の経済をうんと大きくした原動力であった・・・昭和天皇がお亡くなりになったその年(1989・平成元年)の12月29日、平均株価が3万8千9百15円の最高値・・・戦後日本をつくってきた軽武装・経済第一の貿易通商国家がここに完成し、最高に輝いた瞬間
  • 官僚計画経済国家ではどうにもならない・・・根拠なき自己過信をもち、実に驕慢なるムチであり、底知れぬ無責任であるということ・・・バブルがはじけてから10年間で私たちがみたのは、政・官・財のまったくの無責任・・・今の日本は、財政は800兆円の大借金(国際)を抱えています。・・・戦争中は国債で戦って莫大な借金をしましたから、戦後はもうやるまいとガマンしていたのですが、・・・800兆円・・・何かといえばすぐ国債を出してごまかしてきたわけです。・・・今の日本に必要なのは何か?一つには、無私になれるか。マジメさを取り戻せるか。日本人皆が私を捨てて、もう一度国を新しくつくるために努力と知恵を絞ることができるか。その覚悟を固められるか。