真説 日本左翼史(池上彰 佐藤優)

  • 2020年は日本共産党創設100周年
  • 格差の是正、貧困の解消といった問題は、左翼が掲げてきた論点そのもの
  • 民主主義そのものが機能不全に陥ってしまった。
  • 「民主主義の模範」とみなされてきたアメリカ型の民主主義
  • 反戦平和、戦力の保持をめぐる問題も、左翼が議論を積み重ねてきた主要な論点
  • 人類が近代以降に重視してきた「自由・平等・友愛」という三つの価値
  • 自由を重視すると格差が拡大して平等ではなくなる
  • 平等を重視すると社会から自由が失われていく
  • 友愛が二者の調整原理として働くっことでようやく社会が安定する
  • 友愛が失われて機能しなくなっています。
  • 友愛に代わる調整原理として左翼思想が必要とされる時代が来るのではないか、
  • グレタ・トゥーンベリ
  • ANTIFA
  • 黄色いベスト運動
  • 新左翼」と共産党の区別もついていない
  • 「左翼」と「リベラル」が全然別の概念だということも理解されていません。本来はリベラル(自由主義者)といえば、むしろ左翼とは対立的な概念
  • 左翼は鉄の規律によって上から下まで厳しく統制
  • リベラルは個人の自由を尊重する思想、規律を嫌悪
  • 左翼、つまり急進的に世の中を変えようと考える人たちの特徴は、まず何よりも理性を重視する姿勢にあります。理性を重視すればこそ、人間は過不足なく情報が与えられてさえいればある一つの「正しい認識」に辿り着けると考えますし、各人間の意見の対立は解消される、そうした理性の持ち主が情報と技術を駆使すれば理想的な社会を公リクすることができる、と考えます。
  • 19から20世紀の左翼たちが革命を目指したのも、人間が理性に立脚して社会を人工的に改造すれば、理想的な社会に限りなく近づけると信じていたから
  • 伝統的な左翼は基本的に人民の武装化を支持するもの。特定の層の人たちが武装するのではなく国民皆兵、つまり全人民が武装すれば、国家の横暴にも対応しうると考える。
  • 右翼(保守派)の特徴はなにかといえば、彼らも理性を認めないわけではありません。しかし人間の理性は不完全なものだ、と考えているのです。人間は誤謬性から逃れられない存在なので、歴史に学ぶ謙虚な姿勢が必要です。左翼のように無闇にラディカルな改革を推し進めるのではなく、漸進的に社会を変えていこうと考えるのが本来の右翼です。
  • 王や貴族、教会などの存在は・・・・長年のあいだこの世に存在してきた以上は、その背後には何らかの英知は働いているはずであり尊重しなければいけない、という考え方を右翼はします。
  • 時代とともに、「左翼=反戦平和」といった左翼観に変貌した印象があります。
  • 右翼=保守派の側も、教育基本法を改正すれば立派な国民ができあがる、「愛国心」を憲法に書き込めば国民の間に愛国心が育つ、などと言い始めています。でもこうした、国民の心情・精神に人工的な改造を施そうなどという発想は、もともとは左翼の構築主義に典型的に見られたもの。本来の保守派はこのような発想はむしろ嫌うもの。

 

  • 社会党。1945年の結党から1990年代の半ばまで日本の最大野党として、日本の左翼運動で主導的な役割を果たした政党
  • 社会党の基本理念である社会民主主義は資本主義体制における格差や貧困の問題を解消しようとする思想
  • レーニンが行ったような武力革命を拒絶し、一貫して平和革命を志向。
  • 核兵器に対して首尾一貫して反対
  • 本来的に言えば、左翼は理性ある人間の手元に置かれさえすれば技術はコントロールできると考えるので、核や原発それ自体への抵抗感は持ちません。

 

  • 日本共産党。戦前の1922年、ロシア革命のような社会主義革命を日本でも実現するために結成。コミンテルン日本支部日本共産党
  • 私有財産制度を否定し君主制天皇制)の廃止を掲げる共産党の主張は当時の日本政府にとって容認できないもの・・・1925年には治安維持法を制定して弾圧
  • 戦後は合法政党となり、・・・現在も革命政党であることを綱領で謡っています。ただし現在の日本が必要としているのは社会主義革命ではなく「異常な対米従属」と「大企業・財界の支配」を打破して、日本の真の独立を勝ち取り、政治・経済・社会の民主主義的な改革を実現することだと主張しています。

 

  • 日本社会党。戦前の合法的社会主義政党の関係者たちが・・・1945年・・・大同団結してできた政党
  • 国家間や社会観にはかなりのバラツキ。左派は・・・マルクス主義的な社会主義革命の実現をめざしている点では同じで、多くは天皇制にも否定的な考えを持っていたのに対して、右派は反共主義的な考え方を持つ人が多かった。

 

  • 共産党以外の主要政党は現行憲法と資本主義体制のもとで作られたさまざまな法律の枠内で政治活動をする政党。
  • 共産党は・・・政権を奪取した暁には今ある体制を違うものにつくり替えることを目指している。
  • 革命政党。体制そのものを覆そうとしている。
  • 日本という国は現状アメリカ帝国主義と大企業・財界などの独占資本主義に支配されており、まずはこれらを打倒することで、日本の真の独立を勝ち取り、政治・経済・社会を民主的なものにつくり替える民主主義革命を行う必要がある。これを実現しておくことでようやく社会主義革命へ至ることができるのだ、という論。
  • 彼らの究極的な目標が共産主義社会の実現であるということは揺るぎません。

 

  • 「原始社会→奴隷制→封建主義→資本主義→社会主義」というマルクス主義が想定する社会の発展段階
  • 日本資本主義論争
  • 日本のマルクス主義者は講座派の系譜と労農派の系譜に大別されることになり、講座派は日本共産党、労農派は戦後結成される日本社会党の理論的支柱に
  • 講座派は、・・・とりあえず資本家が我が世の春を謳歌する世界を作っておいて、その世界がある程度発展したところで満を持して社会主義革命を起こすという「二段革命論」を提唱した
  • 労農派は、・・・この財閥を打倒すれば社会主義革命は成就するのだ」と主張した
  • 人民民主主義というのは、人民が民主主義的な手段で権力を握ろうとし、一党独裁を否定します。その代わりに、マルクス・レーニン主義を掲げるひとつの指導政党の下に、いくつかの政党があくまで指導を受ける立場で議会に一定の議席を与えられる多党制的な体制のこと(ソ連が「人民民主主義」を掲げた巧妙な意図)

 

  • 「どんなものにも良いものと悪いものがある」というロジックは、共産的弁証法の特徴です。・・・「良い核兵器」と「悪い核兵器」もあって、ソ連や中国などが持つ核兵器帝国主義者による核戦争を阻止するものとして正当化される。
  • 弁証法」という言葉を使うとどんなことでも正当化できるのです。だから彼らは絶対に誤らないし、そもそも自分が悪いと思ってさえいない。共産党歴が長い人ほど、そういう思考回路ができあがってしまっている
  • 1947年。この年には二.一ゼネストの中止
  • GHQに屈して二.一ストを中止したことで、共産党は日本の労働運動を大幅に後退させる決断をした、という批判を浴びることになり、労働運動における主導的立場から転落してしまいます。
  • 今の共産党に国籍条項があること・・・・1960年代以降、・・・外国人の入党を全面的に禁止しています
  • コミンフォルム。正式名称は「共産党・労働者党情報局」。第二次世界大戦後の国際共産主義運動の拠点となった組織
  • レッドパージ
  • 「日本の解放と民主的変革を、平和の手段によって達成しうると考えるのはまちがいである」とする「51年綱領」と「われわれは、武装の準備と行動を開始しなければならない」とする「軍事方針」を決定し、この方針に基づいて各地で破壊活動を行いました。
  • 1955年・・・党として武装闘争路線が放棄される
  • ブント・・・党の体質を官僚的で日和見的だと感じた全学連の学生たちが共産党を離れて1958年に結成した新左翼党派・・・ドイツ語で「同盟」・・・60年安保闘争で中心的な役割を担う
  • 訓練に限らず当時の共産党が若者たちに出していた指示は基本的に武装闘争のためだった
  • 問題は、共産党がこれを今もって撤回していないということです。撤回する代わりにあの人たちがしたことといえば、本を絶版や品切れし、人目に触れないようにしただけです。
  • 根っこの部分では暴力革命の旗を降ろしていません。

 

  • 1952年血のメーデー事件
  • 同年に破壊活動防止法が制定された。さらに破防法に基づき、「暴力主義的破壊活動」を行う団体の活動を調査する機関として公安調査庁が創設される
  • 共産党が暴力的な路線に走ったことで一般の国民から遊離してしまい、それまでは共産党に惹かれていた人たちが一気に社会党支持者になっていった。
  • そして1955年。共産党は・・・武装革命路線の放棄を決議。
  • サンフランシスコ講和条約への賛否を巡って左右に分裂していた社会党は、この年の10月に再統一を果たします。
  • 再統一を果たした社会党でも主導権を握っていたのは左派
  • 財界が、このままでは社会主義革命を起こされかねないという危機感から自由党民主党に一緒になることを必死で働きかけ、これにより自由民主党が結成されました。いわゆる55年体制の完成です。
  • 保守陣営がそういう選択を迫られるほどに社会党が脅威になっていた。
  • マスメディア、それから知識人の世界での支持率で考えれば、当時の自民党社会党の実力は伯仲どころか7対3ぐらいの割合で社会党のほうが強かった。それぐらい社会党の影響力は強かった。

 

  • 岸信介首相時代に行われた日米安全保障条約の改定
  • 日本にアメリカ軍を駐留させる代わりに日本が攻撃された際にアメリカが守る義務があることを認めさせ、日本国内の暴動をアメリカが鎮圧・弾圧する規定も除外させた。
  • 安保条約が改正されることによって、アメリカ軍の恒久的な日本駐留を認めることになり、これによって日本が台湾や朝鮮半島での戦争に巻き込まれるリスクが生じる、とう主張に基づいて反対運動を起こしたのは社会党でした。
  • 社会党は60年安保と三池闘争を通じて新左翼を育てる傅育装置そていの役割を果たしたと言えます。
  • 社会党自体も必然的にぬるま湯体質になっていきましたね。最初の頃は平和革命実現のための、本気で国会の過半数議席を獲ろうと全国のほとんどの選挙区に候補者を出していたのが、何度選挙をやろうとどうしても過半数は獲れないとなって、いつの間にか3分の1の議席を確保するための候補者しか出さなくなった。3分の1以上の議席さえ確保しておけば憲法改定の発議は阻止できるということで、「護憲政党」という地位に安住するようになってしまったからです。