金閣寺(三島由紀夫)

  • 父によれば、金閣ほど美しいものは地上になく、また金閣というその字面、その音韻から、私の心が描きだした金閣は、途方もないものであった。
  • 私はその事件を通じて、一挙にあらゆるものに直面した。人生に、官能に、裏切りに、憎しみと愛に、あらゆるものに。そうしてその中にひそんでいる崇高な要素を、私の記憶は、好んで否定し、看過した。
  • 私は今まで、あれほど拒否にあふれた顔を見たことがない。私は自分の顔を、世界から拒まれた顔だと思っている。しかるに有為子の顔は世界を拒んでいた。
  • 後年、父の出棺のとき、私がその死顔を見るのに急で、涙ひとつこぼさなかったことを想起してもらいたい。その死と共に、掌のきはんは解かれて、私がひたすら父の顔を見ることによって、自分の生を確かめたのを想起してもらいたい。
  • 「いつかきっとお前を支配してやる。二度と私の邪魔をしに来ないように、いつかは必ずお前をわがものにしてやるぞ」
  • 私はこの時ほど現生を完全に見捨てた人の顔を見たことがない。生活の細目、金、女、あらゆるものに一々手を汚しながら、これほどに現世を侮蔑している人の顔を見たことがない。‥‥私は血色のよい温かみのある屍に触れたような嫌悪を感じた。
  • それは正しく裏日本の海だった!私のあらゆる不幸と暗い思想の源泉、私のあらゆる醜さと力との源泉だった。
  • 突然私にうかんで来た想念は、・・・・・その想念とは、こうであった。「金閣を焼かなければならぬ。」
  • 私は幸福に充たされて、一時間も闇の中に坐っていた。生まれてから、この時ほど幸福だったことはなかったような気がする。
  • 私は煙草を喫んだ。一ト仕事を終えて一服している人がよくそう思うように、生きようと私は思った。